発言要旨

日系カナダ人のための補償とその遺産

                    

鹿毛達雄(グレーターバンクーバー日系カナダ市民協会人権委員会委員 )

 

1.日系カナダ人のための補償の特徴と成果

 

1980年代始めに全カナダ日系人協会 (NAJC)が中心になって、本格的な補

償のための運動が始まった。政府は繰り返し個人補償を認めないとし、一方的な解

決策を日系人に押し付けようとした。NAJCはこのような圧力に抵抗し、民主的

なプロセス、すなわち、日系人との交渉によって達成される解決案のみが受入れ可

能であると主張した。

アメリカの場合と異なり、カナダでの一般の認識の高まりは、公聴会、立法活動、

訴訟などによって達成されたものではない。むしろ、全国の日系人を代表する全カ

ナダ日系人協会(NAJC)は、先ず最初に日系人コミュニティの支持を獲得する

こと、そして、政府や野党に陳情活動を行うこと、マスメディアの支持を獲得する

こと等に努力を尽くした。

補償を目指す日系人の政府との折衝は4年以上の困難な交渉の過程であった。最

終段階では、著名な個人や有力な団体が日系人の経験が民主主義の原則に悖る人権

侵害であったことを理解し、その是正を訴える日系人の立場を支持して、政府に対

して、コミュニティに受入可能な解決のために日系人と交渉するよう要望したので

ある。このような意味で、日系人は先住民族、少数民族を含めた多くのカナダ人の

お蔭を蒙っている。

マルローニ首相とNAJCのアート・三木会長との間に調印された合意書「承認」

に基づいて、カナダ政府は、各生存者に象徴的な補償金、2万1000ドルを支払

うことに同意した。さらに、補償にはコミュニテイの再建のための1200万ドル

の資金が計上された。2400万ドルの基金による人種差別撤廃のための人種関係

財団も補償の一部をなしている。

 

カナダで成立し実施された補償の中に、日本政府に補償を求めている犠牲者の運

動を進める上で参考になると思われるところがある。

 

1) カナダ政府は当時の法律によれば「合法的」であっにもかかわらず、40年以

上まえの不正な行為を公式に「承認」した。しかし政府は損害に対する法的な

責任を認めたわけではない。補償金支払いはex gratia、すなわち、一種の見

舞金として支払われた。(1998年10月31日付、内閣令)

2) 補償金受給の有資格者は日本に先祖を持つ、1941年から1949年の期間

にカナダで緊急処置の被害を受け、補償成立時点で生存していた人で、198

8年当時の国籍や居住地は受給資格に影響を及ぼさなかった。

3)  支払いは速やかにおこなわれた。補償成立から1年後の1989年9月まで

に有資格者の半数に近い7000人以上への支払いが済んでいる。

4)  補償申請援助のためのNAJCのフィールド・オフィスが各地に設けられた。

これは合意書に含まれている300万ドルの資金によって運営された。

5)  1989年夏には政府の日系人補償事務局とNAJC合同の代表団が日本各

地を訪問し、説明集会を行うと共に、申請書類の受け付けを行った。

6)  日系人の間には、親達が世を去る前に補償が成立していたらどんなによかっ

たことか、という意見がある。1988年以前に死亡した人の配偶者や子供

への支給が行われることが適切というケースがあったと思われるが、この点

に関する論議はほとんどなかった。

 

2.  日系カナダ人がアジアの戦争被害者に対する補償を支持するのはなぜか?

 

アジアにおけるホロコーストと戦後補償は、日本国内においてと同様に、カナダ

の日系人コミュニティにおいても意見が分かれている問題である。 しかし、多く

の日系カナダ人は、自国政府の人種差別政策の犠牲者となった経験があり、補償を

獲得したことによって、いつどこで起るものであれ、人権侵害についてその被害者

を支持するために率先して発言する特別な責任を負っていると考えている。

このような展望を持ちながら、NAJCおよびJCCA(グレーターバンクーバ

ー日系カナダ市民協会)人権委員会は内外の人権問題について発言してきた。その

中に、修正主義に反対し日本とアジア諸国に共通する近現代史の理解を求めること

や日本の軍国主義、植民地主義の犠牲になった人々への補償の問題がある。私たち

日系人は中国系カナダ人を始め、韓国系、フィリピン系、ユダヤ系、オランダ系の

人々と協力して以下のような活動に参加している。

 

1) 1997年に家永三郎教授の教科書裁判を支援した。カナダの支援活動は私た

ち少数民族グループが署名運動を行い、最高裁判決を前にして1万1000以

上の署名を集めた。

2) 1998年夏には、日本からの代表団を迎えて細菌戦731部隊の被害者の訴

訟を支援する「和解への展望」と題する証言集会と展示がトロントとバンクー

バーを行った。バンクーバーでのこの催しの集会に500人、 数日の展示に3

000人の参加があった。

3) 1998年秋から今年にかけて、もう一つの中国人戦争被害者の訴訟 (73

1部隊・南京大虐殺・無差別爆撃賠償請求事件)支援のために署名運動を行い、

カナダから4629筆の署名が裁判長に届けられている。

 

私たちがカナダからアジアにおける戦争被害者にたいする補償の運動を支持す

るのは、日本政府による「謝罪と補償」によって被害者の人間としての尊厳が認め

られ回復されることを望んでいるからである。過去に重大な不正の犠牲となった

人々はそれを忘れることができないのは当然である。償いが行われなければ、そう

した人々の苦い記憶は世代を超えて伝えられる。

私たちは多文化社会の国、カナダでアジア系少数民族の人々と隣人、職場の同僚、

あるいは友人として日常的に接触しているがゆえに、日本とアジア諸国との関係が

直接、間接に私たちに影響を及ぼしている。この意味からも戦後補償の問題の速や

かな解決を望んでいる。

 

  結び:カナダ政府が11年前に日系人に対して行った謝罪と補償は将来、同様な

誤りを再び犯さないという決意の表明でもある。カナダ政府と同様に、私たちは日

本政府が1930年代、40年代の日本軍国主義がもたらした被害に関して勇気と

英断をもって対処することを要望している。私たちはこの要望を既に1997年1

1月、橋本龍太郎首相がAPEC会議のためにバンクーバーを訪れたさいに伝えた

のであるが、何らの返答も受け取っていない。周知のように日本政府はかっての非

人道的行為について「実質的な補償を伴った明確な謝罪」をする責任を回避し続け

ている。しかし、正義の回復は長年月の遅滞の後といえども不可能ではない。謝罪

と補償が速やかに行われることは、直接の被害者やその家族のためだけではなく、

同時に日本やその他のアジア諸国の若い世代の人々が和解と調和の精神に基づい

て共存する助けとなるに違いない。

 

 

 

略歴

 

鹿毛達雄  (かげ・たつお)1935年生まれ。東京都出身。歴史家、翻訳家。東京

大学文学部卒業、 同大学院西洋史学修士課程修了。ドイツ、テュービンゲン大学に

留学。明治学院大学法学部教授(政治史担当)を経て、1975年にカナダに移住、

バンクーバーに在住。移住者難民援助機関にカウンセラーとして勤務。1980年代、

日系人のための補償の運動に参加。補償成立後、全カナダ日系人協会(NAJC)

補償実施プログラムのコーディネーター。現在、グレーターバンクーバー日系カナ

ダ市民協会(JCCA)人権委員会委員。著書「日系カナダ人の追放」(明石書店、

1998年)他。

 

 

Summary of Presentation (at the International Citizens Forum on War Crimes

and Redress)

 

The Legacy of Redress for Japanese Canadians

 

Tatsuo Kage,

( Greater Vancouver Japanese Canadian Citizens' Association

Human Rights Committee)

 

On September 22, 1988 Brian Molroney, the Prime Minister of Canada

announced Redress for Japanese Canadians in the House of Commons. He

apologized for unjust treatments which were motivated by racism - uprooting,

incarceration and expulsion during and after the World War II and he offered

redress for both individuals and the community. Redress agreement between

the government and the NAJC (National Association of Japanese Canadians)

stipulates an ex gratia payment of symbolic compensation of $21,000 for

surviving individual victims, funds for rebuilding the community and the

establishment of the Race Relations Foundation for the elimination of racism.

 

In the process of the Redress movement Japanese Canadians successfully

appealed to the public that redress is a matter of democratic principle and

Human Rights. Many Canadians, including the First Nations and minority

groups, supported Japanese Canadians. By achieving Redress Japanese

Canadians assumed a special responsibility for becoming active advocates for

the victims of violation of their rights whenever and wherever it may occur. 

 

From this point of view Japanese Canadians have been protesting the

revisionist interpretation of the history of Japan's invasion in Asia and

supporting redress for those who were victimized by the Japanese military and

civilian authorities.

 

In cooperation with Chinese, Dutch, Filipino, Jewish, Korean Canadians, we

were involved with the following activities: 1) In 1997 we in Canada collected

as many as 11,000 signatures in support of Professor Saburo Ienaga's textbook

lawsuit in Japan; 2) In 1998 we supported a touring witnessing forum and an

exhibit relating to the lawsuit filed by the victims of Unit 731 biological

warfare. Further, 3) since the fall of 1998 we supported another lawsuit of

Chinese war victims filed at the Tokyo District Court - a case relating to the

issues of Unit 731, the Nanking Massacre and Indiscriminate Bombings - by

collecting over 4600 signatures.

 

We suggest that with courage and insight the Japanese government could act,

in a similar way as the Canadian government did 11 years ago, toward the

victims of the Japanese militarism and colonialism by offering a sincere

apology and substantial redress payment.

 

 

Biographical Notes:

 

Tatsuo Kage, historian and professional translator, member of Greater

Vancouver Japanese Canadian Citizens' Association (JCCA) Human Rights

Committee. He was born in 1935, brought up in Tokyo. BA. and MA. from the

University of Tokyo majoring European history. Studied at T?bingen

University, Germany. After teaching political history as a professor at Meiji

Gakuin University, he immigrated to Canada in 1975. In Vancouver, British

Columbia he worked with an immigrant and refugee service agency as a

counsellor. In the 1980's he participated in the Redress movement. After the

redress settlement he worked with the NAJC Redress Implementation Program

as a coordinator.  His publications include: Nikkei Kanadajin no Tsuiho

(Exiled Japanese Canadians), Tokyo, 1998.